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2014年3月11日火曜日

春らしくなってきました~。

こんにちは。今日はとてもいい天気です。
先週の木曜日頃から荒れ模様の天気で、太平洋側・オホーツク側・日本海側と順に吹雪が回って来ました。
この日本海側も高波で国道231号線は通行止めになってしまいました。
冬の生活は厳しいものです。


この写真は本間家の正面から昔の酒蔵を写したものです。
昨年は「雪が少ないね~」なんて言っていたのですが、どんどんと積もりだして
ここまでになりました。
現在の積雪量は110センチありますが、こうして見るともっと降っているような気がします。


昨日から少しづつ気温も高めになってきて、屋根の雪が融け出していました。
夜から冷え込んでこんな「つらら」ができました。
瓦屋根ですが雪止めがついているので一気に落雪する心配はありません。
昔の人の知恵はすごいですね~。
今もこうして使っていても不便はないのです。(あっ、屋根以外は不便だらけ・・・です。)


さてきょうの話題は「船」にしようと思います。
増毛には北前船が多く来ていましたが、船には種類があり、北前船・菱垣廻船・樽廻船などがあります。
その中でも北前船は「蝦夷地と大阪を結んだ不定期廻船で買積みが主体の船」です。
「下り荷」は酒・衣料・たばこ・塩・砂糖・蝋など、「上り荷」は鰊粕・干し鰊・数の子・白子等々です。
明治時代の終わり頃まで来ていました。
北前船で一番の有名どころは「高田屋嘉兵衛」でしょうか。

本間家が所有していた船は物資や人を運ぶ事が多く、のべ数で13隻ほどありました。
食用の米や酒米、移民の人々を乗せていました。
多少の時化でも船を出して離島からは重宝されていたそうです。
本間家には「越後丸」という持ち船がありましたがその運んだ荷をみると
エンドウ豆・金時豆・澱粉・鰊の燻製・編み笠・草鞋・筵布団等々、日常に使われる物の
ほとんどが船で運ばれていました。
今は便利な手段が色々ありますが、道路がなかった当時はやはり船が主役だったのですね。

北海道の中でも海運では3本の指に数えられるまでになった「本間泰蔵さん」
行商から始めてここまで築いた努力の方です。

今年も「旧商家丸一本間家」は4月25日に開館を迎えますが「越後丸」の写真なども展示しています。
昔を感じに来てみませんか?
おいしいコーヒーを用意してお待ちしております。
                   /女中頭 さとう