こんにちは、木村です。
ここ数日の増毛町は、暴風雪警報が発表されるほどの大雪となり
本間家の雪かきをしている大番頭さんも悲鳴をあげています。
さて本日は「初代 本間泰蔵氏が海運業を始めたキッカケ」についてご紹介します。
泰蔵氏が商売を始めた頃の増毛町は、
地理的な問題から陸運より海運の方が利便性が
高く、日本海沿岸の海運をほぼ独占していた日本郵船(小樽を根拠地とする)に
頼っていました。
しかし、割高な運賃に加え欠航が頻繁に起こり、また冬季間は物価の高騰化や日常の米や味噌が不足することもありました。
そんな状況のため自家海運の必要性を感じた泰蔵氏は、自分の商売のためだけではなく、
地元中心の海運業として明治20年頃に進出。他の汽船を凌ぐほどの勢いがあったようです。
その後、明治27~8年の日清戦争、明治37~8年の日露戦争では、船舶不足による運賃高騰もあり莫大な利益をもたらし、
泰蔵氏が手がけた様々な事業のうち、最も利益の大きいものとなりました。
上記の写真は、本間家で所有していた「留萌丸」の潜水式の様子です。
煙突部分に、丸一の屋号が印してあります。『ふるさとの思い出写真集 明治 大正 昭和留萌・増毛から抜粋』
人に頼ることばかりではなく、自分で考え行動するということの
素晴らしさを改めて実感しました。
木村
旧商家丸一本間家
100年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家。
屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど
当時の建築職人の心意気が感じられます。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
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旧商家丸一本間家
令和2年度開館………………………………4月17日(金)
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
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