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2014年3月27日木曜日

準備はじまりました。

こんにちは。今週はずっと暖かくて気持ちのいい日が続いています。
雪が少しずつ融けてきています。
今日の大番頭松本さんは


玄関先の「雨樋」をつけています。外での作業もこうしてお日様が当たっていると暖かいので
仕事もはかどります。


続いては呉服店舗2階の鉄扉を開けています。冬の間は閉めてしまいますのでこの作業も春を感じる瞬間です。
この作業中にも二組のお客様が訪ねてきてくださいましたが残念ながら建物の中はまだ何も準備ができていないため、見学はお断りさせて頂きました。ほんとうに申し訳ありません。
4月25日のオープンに向けて準備を進めていきますので、もうしばらくお待ちください。



さてこの写真は「志満川食堂」の母屋玄関です。
明治25年建築で「マルト 小林廻船問屋」だったところです。

古くからこの町にあった食堂で現在も「ラーメン」や「そば」など昔ながらの味で親しまれています。
子供のころから外食と言えば「志満川さんのしょうゆラーメン」。
ファーストフードもコンビニもしゃれたレストランもない時代に
家族で出かけられるところだったのです。
子供ながらにテンションがあがりました!!

今も時々、食べに行きます。「なつかしい。。。味」

増毛はいいところがたくさんあります。
また、増毛の町中、紹介してみたいと思います。

             女中頭 さとう








2014年3月25日火曜日

春が来てくれてるかも。

こんにちは。
今日は暖かい一日となりました。
外はコートがなくても歩けるくらいの気温です。
但し、まだまだ雪が残っている状態です。
全部が解けるまではあとしばらくはかかりそうです。


きょうの大番頭松本さんです。
裏の雪割りの作業をしていました。
硬く引き締まった雪を崩していくのはかなりな重労働です。
ですがこの作業をすることで雪が早く融けるのです。
あとちょうど1ヶ月で開館を迎えますので大番頭は大忙しです。


増毛町には「暑寒別岳」という山があります。
高さは1492メートルあり、夏でも雪の残っているところがあります。



高校生のころ、「全校登山」がありました。
午後10時頃、学校に集合し出発します。
お弁当を持参し頂上で食べるのですが、7月の山開きなのに
おむすびが凍ってカチカチになったり、登山道に雪が残っていて
滑って転んでお尻べしょべしょになったりとハプニング続きの
全校登山でした。
でも頂上から朝日を見たのは感動的でした。
頂上よりも低いところに雲海があり、その雲海の上を歩いて行ける・・・と錯覚しました。
3年間の高校生活で登ったのは2回だけでしたがこの雲海はもう現れませんでした。
(2年生の時は悪天候で引き返しました)
あのころとは違い今は体力もなく自信もありませんがもう一度、登ってみたいと
思っています。

この暑寒別岳は伏流水が流れ、水もおいしいと有名です。
北前船が水を補給したり、おいしいお酒ができるということは
この水のおかげですね。
暑寒別岳の万年雪がもたらす”チカラ”はすごいのです。
(水のおいしいところは美人が多いそうです。町中を捜索してみてくださいね。)

これから、増毛は楽しくなりますよ~!!
                    女中頭 さとう

2014年3月20日木曜日

天気は晴れ~!


こんにちは。昨日はべしゃべしゃの薄曇りの写真でしたが今日は晴れ晴れとした写真です。
全道的に天気がいい一日です。
冬の間、ずっと曇ったお天気ばかりだったので久々に気持ちいい~~。
増毛町付近の桜の開花予想は5月10日ということで、国道が桜色になるのももうすぐです。
一番古い木は「元陣屋」にあり、増毛駅前近辺の桜もきれいです。


こちらの写真は「増毛厳島神社」
明治32年、越後柏崎の篠田宗吉が弟子2人と共に2年余りをかけて作った彫刻本殿は有名です。
材料は欅一式だそうです。
参道の唐獅子や灯籠も江戸時代のものということで一見の価値があります。
厳島神社は昭和42年開道百年の遺跡として、道知事の指定を受け、
平成2年に本殿が増毛町有形文化財指定第一号となりました。

町内は史跡も巡ることができます。
約30もの史跡があり、「増毛治安裁判所跡」や「秋田藩元陣屋跡」「増毛税務署跡」など。
駅から3.2キロのコースをゆっくり歩いて見るのもおもしろいと思います。
また駅前は「北海道遺産指定歴史的建造物群」にもなっていて、観光案内所の「多田商店」
「食堂・志満川」・「國稀酒造」・「旧旅館・富田屋」・「ぼちぼちいこか増毛館」「旧増毛小学校」
「増毛駅」そして本間家です。
古い建物が並んでいます。
散策してみてくださいね。

もちろん魚や果実・米も収穫されています。
現在は「カレイ刺網」が盛んで「赤ガレイ」「浅羽ガレイ」
「黒ガシラ」「砂ガレイ」などがとれています。
果実は5月末頃から「いちご」がお目見えします。

増毛はどんどん楽しくなります。
ぜひ、お立ち寄りくださ~い。
             女中頭 さとう

2014年3月19日水曜日

そろそろ開館準備です!!

昨日はやっと春か~?と思ったら突然の雪が降ってきました。
今日は一転、朝から晴れています。
昔から「彼岸荒れ」といってこの時期になると何故か空模様が怪しくなるようです。
気温が高めなのでほとんど雨に近いような雪でした。

写真のように道路はべしゃべしゃです。歩いていても、車に乗っていても気をつけなければならない時期です。
春が来ると思えば悪路もガマン・ガマンです。

「旧商家丸一本間家」は明治26年の竣工です。今から121年前の建物です。
明治13年の増毛大火で泰蔵さんは家産を焼失してしまいます。
明治14年から建物はもちろん、商売も拡大していきます。
建物は石造り・土蔵造りの不燃材料を使ったことでこうして現在まで
残っています。
重要文化財になった理由の一つが『「木骨石造」などによる防火意識に則った
建物群からなる商家の重要部分が良好に残っている』というものです。
東西の卯建を始め、いろいろな工夫がされています。
家産を焼失した泰蔵さんは本当に悔しかったのでしょうね。

莫大なお金がかかったことでしょう。
質素な部屋から贅沢を尽くした客間まで、明治時代の栄華を感じられると
思います。
床の間の天袋や地袋・襖の引き手・欄間・書院造りなどなど、細かく
見て頂きたいと思います。
襖に書かれた「書」は明治3大書家、巌谷一六のものです。
客間の書は「赤壁の賦」といい、原文は「唐宋八大家」の「蘇軾」が書いています。
三国志の中でも、曹操軍と劉備連合軍が戦ったシーンは名場面です。

見所一杯の本間家です。
深く知ればとても楽しい時間が過ごせると思います。

もうすぐ、開館を迎えます。
そろそろ、準備にかかりま~す。
   女中頭 さとう





2014年3月11日火曜日

春らしくなってきました~。

こんにちは。今日はとてもいい天気です。
先週の木曜日頃から荒れ模様の天気で、太平洋側・オホーツク側・日本海側と順に吹雪が回って来ました。
この日本海側も高波で国道231号線は通行止めになってしまいました。
冬の生活は厳しいものです。


この写真は本間家の正面から昔の酒蔵を写したものです。
昨年は「雪が少ないね~」なんて言っていたのですが、どんどんと積もりだして
ここまでになりました。
現在の積雪量は110センチありますが、こうして見るともっと降っているような気がします。


昨日から少しづつ気温も高めになってきて、屋根の雪が融け出していました。
夜から冷え込んでこんな「つらら」ができました。
瓦屋根ですが雪止めがついているので一気に落雪する心配はありません。
昔の人の知恵はすごいですね~。
今もこうして使っていても不便はないのです。(あっ、屋根以外は不便だらけ・・・です。)


さてきょうの話題は「船」にしようと思います。
増毛には北前船が多く来ていましたが、船には種類があり、北前船・菱垣廻船・樽廻船などがあります。
その中でも北前船は「蝦夷地と大阪を結んだ不定期廻船で買積みが主体の船」です。
「下り荷」は酒・衣料・たばこ・塩・砂糖・蝋など、「上り荷」は鰊粕・干し鰊・数の子・白子等々です。
明治時代の終わり頃まで来ていました。
北前船で一番の有名どころは「高田屋嘉兵衛」でしょうか。

本間家が所有していた船は物資や人を運ぶ事が多く、のべ数で13隻ほどありました。
食用の米や酒米、移民の人々を乗せていました。
多少の時化でも船を出して離島からは重宝されていたそうです。
本間家には「越後丸」という持ち船がありましたがその運んだ荷をみると
エンドウ豆・金時豆・澱粉・鰊の燻製・編み笠・草鞋・筵布団等々、日常に使われる物の
ほとんどが船で運ばれていました。
今は便利な手段が色々ありますが、道路がなかった当時はやはり船が主役だったのですね。

北海道の中でも海運では3本の指に数えられるまでになった「本間泰蔵さん」
行商から始めてここまで築いた努力の方です。

今年も「旧商家丸一本間家」は4月25日に開館を迎えますが「越後丸」の写真なども展示しています。
昔を感じに来てみませんか?
おいしいコーヒーを用意してお待ちしております。
                   /女中頭 さとう



2014年3月3日月曜日

春はまだかなあ。


こんにちは。本日は曇り時々雪で氷点下の寒さです。
先週は暖かい日が続いたので大番頭松本さんが正面玄関の屋根の雪下ろしをしていたところです。
およそ、30センチ以上はありそうですね。
気をつけながら慎重に作業する必要があります。
この雪の下敷きになったら、大事故です。
春が来るまであとひと月の辛抱です。ふ~。

昔・昔 ニシンがたくさん獲れていた頃のことです。

大体、2月から漁場・番屋周りの雪かきが始まります。
3月には漁具や船の準備が始まり、1ヶ統の漁場人夫の割り当てが行われ、
いつニシンが来てもいいように漁夫も親方も心待ちにしています。
4月に入るといよいよです。
初ニシンが来たか!!と電話や電報で情報を集め、漁夫たちの気合いが入ります。

増毛が千石場所と言われたことが今の私たちにも想像ができます。
喧騒・活気・子供も女性もすべての人たちが働いていたのです。
学校は「ニシン休み」があって
私の父は「ニシン繋ぎ」をしていた祖母のそばで「ニシン運び」をしていたそうです。
木架(なや)まで肩に担いで運び、鱗まみれになって働いて、
帰りにニシンを畚(モッコ)に背負い、見栄えがいいのは
家族が食べ、傷物は畑の肥料として使いました。
家の中には囲炉裏があって、ニシンを焼くのですが、
脂が乗ったニシンから「もくもく」の煙が出てきて、寒いのに窓を開けて
みんな、かぶりつきでそのニシンを食べたそうです。
本当においしかったと父は言います。

「あ~ぁ、その頃のニシン食べてみたいなあ」

今年小樽ではニシンが海水温の関係で近くに寄れないらしく、
増毛にも影響があるかも知れません。
小樽が獲れないと増毛も無残な結果になるため、小樽に期待しましょう!!
「大漁」になりますように・・・・・。
ニシンへの期待は今も昔も一緒ですね。

増毛町内でもニシンの加工品を扱っているところが何軒かあります。
こちらにお越しの際は是非、町内をぐるりと回って、心ゆくまで楽しんで行ってください。


なんと言っても、 Fruit! Fish!  Fresh!!  の町なのです。


女中頭 さとう