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2011年6月17日金曜日

ミニ企画展「本間キミの時代」が始まりました。


ミニ企画展「本間キミの時代」
期日:6月17日~6月29日
会場:客間


 本間家の居宅にある客間で、ミニ企画展が始まりました。本間家2代目の妻として下国家から嫁いだキミさんについて、解説しています。室内にはキミさんの等身大パネルの他、彼女が実家である下国家から持参した薙刀(なぎなた)等も展示しております。ぜひご覧になってくださいませ。


 この方がキミさん。きれいな方ですね。展示説明の中から一部を抜粋してご紹介します。


 本間キミ。本間家の2代目、本間泰輔の妻として戦中、戦後と激動の時代を生きた女性です。彼女が下国濱三郎、モトの次女として茂辺地(もへじ)に生を受けたのは明治24年11月19日。折しも北海道は「鰊の百万石時代」の真っ只中にあり、日本海沿岸地域はどこもニシン景気で賑わっていました。
後述しますが、キミの父である下国濱三郎は茂別に館(たて)を構えた安東家政(あんどういえまさ)の子孫で、第17代目となります。彼の兄である下国貞之承(季元:かげもと)は16代目でしたが、息子が早卒だったために弟である濱三郎が下国季森として下国家を継ぐことになったのです。
 下国貞之承は明治9年に自宅において村内の子どもを相手に寺子屋を開いて読み書きなどを指導しており、これを受け継ぐ形で、濱三郎は翌明治10年に開設された茂辺地小学校の初代校長に就任しました。こうした家に育ったキミは明治35年に函館高等女学校尋常科、37年に同学校の高等科を卒業すると自宅でも近所の子供達に勉強を教えていたといいます。
 キミが本間家に嫁いだのは明治43年、19歳の時でした。丸一本間合名会社汽船部の函館支配人の仲立で縁を持つことになった下国家に対し、泰蔵は持ち船の「太刀丸(たちまる)」を満艦飾で七重浜に迎えに行きます。増毛に戻るとすぐに婚礼の儀と披露宴が催されましたが、宴は親族と顧客、使用人や女中などに分けて開かれ、4日間で5回に及ぶという盛大なものだったそうです。

 本間家2代目として将来を期待される泰輔でしたが、彼は泰蔵の没後、すぐに病気で亡くなってしまいます。3代目の泰次がまだ幼かったため、本間家の事業は妻であったキミの双肩にかかってくるのですが...続きは是非会場でご確認下さい。
 /小野

2011年6月12日日曜日

井上靖の作品を読む集いが開催されました。


 6月11日(土)、12日(日)と二日間にわたり、「井上靖の作品を読む集い」が呉服店舗で開催されました。旭川市にある井上靖記念館で活動されている「井上靖ナナカマドの会」のご協力により、作品の朗読と解説が行われました。11日はエッセイ「私の自己形成史」、12日は短編歴史小説「利休の死」が演目です。

 「私の自己形成史」では井上靖自身の生涯や生誕地である旭川市との関わり、彼の小説家としての活動を決定づけた様々な要因などについて解説されました。「利休の死」では豊臣秀吉と千利休の関係や当時の時代背景、利休が目指した茶の精神などを説明していただきました。


 左からナナカマドの会、塩尻さん、井上靖記念館の中西さん、葛西さんです。9月の10日、11日にも「井上靖の作品を読む集い」が予定されております。こちらの方にもぜひ足を運んでくださいませ!
/小野

谷本光公演が開催されました。


 若き天才ギタリスト、谷本光さんの公演が6月9日(木)開催されました。16歳で初めてギターを触れ、わずか1年半でCDデビューを果たしたという谷本さんの演奏に会場中が酔いしれ、会場となった呉服店舗は熱気に包まれました。


 オリジナル曲である「渡り鳥」や「夏空蝶」の他、「いい日旅立ち」や「涙そうそう」等おなじみの曲のカバーなども演奏。中学生からお年寄りまで様々な方が来場されましたが、どなたも”素晴らしい演奏だった”と感銘を受けられた様子でした。
 巧みな技術と繊細なメロディー。またどこかで(できれば本間家で?)谷本さんの演奏を生で聞きたいな、と強く思います。
 /小野