旧商家丸一本間家
100年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家。
屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど
当時の建築職人の心意気が感じられます。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
旧商家丸一本間家
令和2年度開館………………………………4月17日(金)
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
2011年6月17日金曜日
ミニ企画展「本間キミの時代」が始まりました。
ミニ企画展「本間キミの時代」
期日:6月17日~6月29日
会場:客間
本間家の居宅にある客間で、ミニ企画展が始まりました。本間家2代目の妻として下国家から嫁いだキミさんについて、解説しています。室内にはキミさんの等身大パネルの他、彼女が実家である下国家から持参した薙刀(なぎなた)等も展示しております。ぜひご覧になってくださいませ。
この方がキミさん。きれいな方ですね。展示説明の中から一部を抜粋してご紹介します。
本間キミ。本間家の2代目、本間泰輔の妻として戦中、戦後と激動の時代を生きた女性です。彼女が下国濱三郎、モトの次女として茂辺地(もへじ)に生を受けたのは明治24年11月19日。折しも北海道は「鰊の百万石時代」の真っ只中にあり、日本海沿岸地域はどこもニシン景気で賑わっていました。
後述しますが、キミの父である下国濱三郎は茂別に館(たて)を構えた安東家政(あんどういえまさ)の子孫で、第17代目となります。彼の兄である下国貞之承(季元:かげもと)は16代目でしたが、息子が早卒だったために弟である濱三郎が下国季森として下国家を継ぐことになったのです。
下国貞之承は明治9年に自宅において村内の子どもを相手に寺子屋を開いて読み書きなどを指導しており、これを受け継ぐ形で、濱三郎は翌明治10年に開設された茂辺地小学校の初代校長に就任しました。こうした家に育ったキミは明治35年に函館高等女学校尋常科、37年に同学校の高等科を卒業すると自宅でも近所の子供達に勉強を教えていたといいます。
キミが本間家に嫁いだのは明治43年、19歳の時でした。丸一本間合名会社汽船部の函館支配人の仲立で縁を持つことになった下国家に対し、泰蔵は持ち船の「太刀丸(たちまる)」を満艦飾で七重浜に迎えに行きます。増毛に戻るとすぐに婚礼の儀と披露宴が催されましたが、宴は親族と顧客、使用人や女中などに分けて開かれ、4日間で5回に及ぶという盛大なものだったそうです。
本間家2代目として将来を期待される泰輔でしたが、彼は泰蔵の没後、すぐに病気で亡くなってしまいます。3代目の泰次がまだ幼かったため、本間家の事業は妻であったキミの双肩にかかってくるのですが...続きは是非会場でご確認下さい。
/小野