Have an account?

2014年1月27日月曜日

中庭の雪


こんにちは。先週末は気温も上がり、雨も降りました。
暖かかったのですが今日はまた気温が下がりました。寒いです・・・。

これは本間家の中庭です。写真に写っている「すのこ」のような物は雪囲いです。
屋根から落ちて来る雪がガラスを直撃しないようにするのです。
また、「焼尻オンコ」や「白木蓮」の木にも北風に晒されて新芽が凍ってしまわないように囲いをします。
こうした囲いは雪が降る前に準備します。
雪国の風物詩ともいえる、大事な秋の作業です。
苦労して囲いを済ませておけば、冬の雪から建物や植物を守っておけるのです。

軒下まで届きそうな雪山を、少しづつ取り除いているのは大番頭松本さん。
毎日元気に雪かきをしてくれています。
「そのうち、とけるべや~!あと少しの辛抱だ~」前向きです。。。


さて、泰蔵さんの手帳からです。
明治43年。この年は増毛建網が始まって以来の大不漁。
町内に「118ヶ統」の建網があったらしいがこの年は増毛全村で大変な事態になっていたようです。
本間家でも沖揚機械を据え付け、ニシンを待っていたようですが大赤字になってしまい、
若者衆は早くに解雇され、特別手当ももらえず、厳しい漁期となったようです。
今のお金にすると約1億2000万ぐらいの損失だったようで、泰蔵さんもガックリと肩を
落としていたことでしょう・・。
それでは、また次回に!!
女中頭 さとう









2014年1月22日水曜日

大番頭の除雪風景


こんにちは。最近、雪の降る日が続きついに大番頭松本さんの出動となりました。
今年は昨年より雪が少なく、なかなか除雪風景を撮影することができませんでした。
この機械は雪国独特の「除雪機」という物です。
集めた雪を機械操作で飛ばします。

本間家の冬の管理は大番頭がやっています。
こうして建物が傷まないように苦労して除雪をするのです。(重い雪が屋根に乗ると建物自体が軋みます)
特に「オンコの木」や「木蓮」などがある中庭は大変な作業です。
これから2月にかけてさらに雪の多い日が続きそうですが、まだまだ大番頭、頑張ります!!!


さて先日の続きのニシンの話です。
ニシン漁の漁場一カ所を「一ヶ統」と呼び、本間家では明治39年に六ヶ統の漁場があり、働く人は総勢170人超。
大体、一ヶ統30人(船頭さんから炊事・賄いの人まで)の計算です。
およそ100人は東北の出稼ぎの人、そして地元の人。
とにかく、経費もかかったようです。
縄筵費・薪炭費・旅費・枠曳賃・製造費・修繕費・そして給料・手当。
米の消費もかなり多かったようで、1人あたり1日・7合食べたそうです。
重労働だとわかっていても、白いご飯を食べられるからとニシン漁場にきた若者も多かったそうです。
本当に賑わっていたのでしょうね・・。
どれだけの人が行き来していたことか。

続きはまた次回へ・・・女中頭さとう。



2014年1月15日水曜日

書き下し作業中


こんにちは。女中頭さとうです。
新しい年が明けて気持ちも新たに始まりましたが・・・毎日の吹雪で少々うんざりしています。

本間家の仕事は昨年内で終わり、現在は”書き下し”の作業をさせて頂いています。
明治17年から始まりの初代本間泰蔵さんの「手帳」。
ニシン漁のことや、出張したこと、その先での金銭の出入りなど細かく書かれています。
そのひとつひとつを読んでいくと明治時代のことが少しづつ頭の中に描けるようになって来ました。

たまたま明治38年の手帳を読んでいると見慣れない文字がありました。
「一方精」と書かれています。
相川大工町の高田平五郎 一方精 三本 三〇銭

早速、確認をしてみたところ、実際にありました!!
「高田一方精本舗」が正式名で大衆漢方薬を調剤して広く販売をしていたそうです。
残念ながら現在はなくなってしまったようですがコツコツと読み進めてきた過去が
実在したことの喜び・・感動でした。うるうる~。

くずし字や異体字・旧字体を読むことはなかなか大変ですが
またこの感動を味わうために日々、励んでいます。

また新たな発見めざして頑張るぞ~~!!








2014年1月7日火曜日

新年あけましておめでとうございます


今日の増毛町は薄曇り。予想最高気温は2℃。比較的、暖かい日になりそうです。
新年早々、大番頭松本さんの出番となりました。昨日は玄関の屋根の雪下ろし作業です。
三が日は雪が多く、吹雪く日もありました。休み中に積もった雪はとても量が多かったようです。
北海道民はこれから除雪に頑張る時期です。”ふ~~”

さて、その昔。
増毛には北前船が来ていました。ニシン漁が盛んだった明治時代、うろこにまみれた「若い衆」がたくさんいてこの町も賑わっていたのです。
明治38年の初代本間泰蔵さんの手帳を見るとニシン締粕・身欠き・粕玉・笹目(魚のえら部分)・数の子・白子などの取引の模様が書かれています。
ニシンは捨てるところがなく、そのすべてが利用されていました。
とても大きな利益をあげたのです。
大きな番屋が立ち並び、ニシンを運ぶ犬ぞりや馬車が行き交い、子供も大人も働いていたのです。
町中を歩いてみると、昔の賑わいが甦るようです。
是非、この町に来てみてください。
「本間家」は平成26年4月25日開館です。