こんにちは。気温も高めで暖かい日が続いています。
残念ながら、桜はまだまだです。
私の家もまだ雪に埋もれていますが、少しだけ出てきた庭に
福寿草と行者にんにくがありました。
北海道の春はジンギスカンと行者にんにくですね。(焼いた肉に巻いて食べるとおいしいです)
先日、文化財専門委員による会議の中で歴史的建造物に係るヒアリング調査がありました。
文化財専門委員とは町内の建物や史跡などの調査・研究するための委員会です。
委員ではない私も同行させていただき、増毛町内をみてきました。
この建物は明治28年に建てられた「カネイチ本間質店」です。
丸一本間家の本間泰蔵さんに呼ばれて、明治19年に佐渡からやってきた本間貞吉さんの自宅兼店舗です。
質屋は日雇い労務者が多い漁期には特別繁昌したようです。
銀行がなかったころの町民の味方は質屋さんだったのでしょう。
この本間貞吉さんは増毛町の一級町会議員も務めています。当時は高額納税者しか議員になれなかったことから、貞吉さんは本当の成功者ですね。几帳面で物静かな方だったそうです。
またこの貞吉さんの第6子貞雄さんという方は、無尽会社から始まり札幌信用金庫理事となり、昭和52年勲五等双光旭日章を受けました。
北海道の金融に関わる重要な仕事をされた方でした。
こちらは現在の建物です。上の写真の左側の3階建の部分が現存しています。
現水産会社の所有となっておりますので中には入れませんが、構造は非常に頑丈にできていると思います。中の梁や骨組みがきっちりとしています。
表は石でできているため風化が進んだものと思われます。
修復するのは費用も掛かると思います。維持をするのも大変です。
これから、どのようになるのかわかりませんが個人的には残ってほしい建物です。
3月も残りわずかになりました。
4月1日より、開館に向けて準備をはじめます。
本間家の開館日は4月24日金曜日午前10時からとなっております。
今年もスタッフ一同、心よりお待ち致しております。
よろしくお願いいたします。 :女中頭 さとう
旧商家丸一本間家
100年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家。
屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど
当時の建築職人の心意気が感じられます。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
最近の記事
お問い合わせ
旧商家丸一本間家
令和2年度開館………………………………4月17日(金)
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
2015年3月27日金曜日
旧増毛小学校
こんにちは。
今日はとてもいい天気できれいな空です。
江差の”フユザクラ”も咲いたようです。江差・函館の桜は本当にきれいです。
増毛にも桜があります。秋田藩跡、元陣屋の樹齢70年くらいの大きな木です。
春には必ず、見にいきます。今年は早く咲くかもしれません。楽しみですぅ。
彼岸の時期も過ぎましたが墓地も少し散策してみました。
お天気がいいので、雪深い墓地にもお参りに来る方々がいたようです。
あちこちに足跡が残っていました。
旧増毛小学校の紹介です。
この学校はとにかく、古くからの歴史があります。
明治11年、増毛教育所として発足し、明治13年6月には増毛学校と改名しました。
昭和3年に50周年記念祝賀会を行い、昭和11年11月11日、この校舎が新築落成しました。
戦争が終わった後の昭和22年4月、新学制の実施により増毛町立増毛小学校
と改称されました。
平成24年3月でこの小学校の使用をやめ、旧増毛高校に移転しました。
校地面積9508坪、校舎2階建面積1200坪。北海道遺産にも指定されています。
移転するまでは、道内で最大・最古の現役校舎として広く知られていました。
今でも写真をとったり、見学してくださる方がいます。
残念ながら中に入ることはできませんが、離れた所からみても大きい学校だということがよくわかります。
増毛は漁業・特にニシン漁が盛んで子供も大人も働いていました。
鰊休みがあって、子供たちも馬橇や犬ぞりからこぼれ落ちる鰊を拾い、
それを売っておやつを買っていたそうです。
現在からは想像もできない事ですが、昔の話をして下さる方は皆、楽しそうなのです。
きっと、活気があって、威勢がよくて、毎日が楽しかったのでしょうね。
この学校を眺めているとその時のにぎやかさが伝わってきそうです。
ぜひ、訪ねてみてください。
もう少しで雪も解けますよ~。 :女中頭 さとう
今日はとてもいい天気できれいな空です。
江差の”フユザクラ”も咲いたようです。江差・函館の桜は本当にきれいです。
増毛にも桜があります。秋田藩跡、元陣屋の樹齢70年くらいの大きな木です。
春には必ず、見にいきます。今年は早く咲くかもしれません。楽しみですぅ。
彼岸の時期も過ぎましたが墓地も少し散策してみました。
お天気がいいので、雪深い墓地にもお参りに来る方々がいたようです。
あちこちに足跡が残っていました。
旧増毛小学校の紹介です。
この学校はとにかく、古くからの歴史があります。
明治11年、増毛教育所として発足し、明治13年6月には増毛学校と改名しました。
昭和3年に50周年記念祝賀会を行い、昭和11年11月11日、この校舎が新築落成しました。
戦争が終わった後の昭和22年4月、新学制の実施により増毛町立増毛小学校
と改称されました。
平成24年3月でこの小学校の使用をやめ、旧増毛高校に移転しました。
校地面積9508坪、校舎2階建面積1200坪。北海道遺産にも指定されています。
移転するまでは、道内で最大・最古の現役校舎として広く知られていました。
今でも写真をとったり、見学してくださる方がいます。
残念ながら中に入ることはできませんが、離れた所からみても大きい学校だということがよくわかります。
増毛は漁業・特にニシン漁が盛んで子供も大人も働いていました。
鰊休みがあって、子供たちも馬橇や犬ぞりからこぼれ落ちる鰊を拾い、
それを売っておやつを買っていたそうです。
現在からは想像もできない事ですが、昔の話をして下さる方は皆、楽しそうなのです。
きっと、活気があって、威勢がよくて、毎日が楽しかったのでしょうね。
この学校を眺めているとその時のにぎやかさが伝わってきそうです。
ぜひ、訪ねてみてください。
もう少しで雪も解けますよ~。 :女中頭 さとう
2015年3月19日木曜日
富田屋旅館
こんにちは~。
最近はお天気も良く、春が近いかな?と思えるようになりました。
あったかいです。
今日は「富田屋旅館」さんの紹介です。
汽車を降りると真ん前にあります。
増毛駅前にある建物で当時は珍しい3階建てになっています。
右から、名前が書かれているのも珍しいですね。
ここは昭和8年に建てられました。
昔はたくさんの人たちの往来があったことでしょう。
仕事で来た人や、夏の海水浴シーズンなど。
夏は満室で泊まれない人もいたそうです。
ここに泊まれないときは、お寺の本堂に泊まったそうです。
「昔は増毛に海水浴によく来たんですよ~。」と、話を聞きます。
みなさん、懐かしく見て行かれます。(現在も住居として使われていますので外観のみ)
駅前にどどんと建っているのは存在感があります。
泊まってみたかった~!
:女中頭 さとう
最近はお天気も良く、春が近いかな?と思えるようになりました。
あったかいです。
今日は「富田屋旅館」さんの紹介です。
汽車を降りると真ん前にあります。
増毛駅前にある建物で当時は珍しい3階建てになっています。
右から、名前が書かれているのも珍しいですね。
ここは昭和8年に建てられました。
昔はたくさんの人たちの往来があったことでしょう。
仕事で来た人や、夏の海水浴シーズンなど。
夏は満室で泊まれない人もいたそうです。
ここに泊まれないときは、お寺の本堂に泊まったそうです。
「昔は増毛に海水浴によく来たんですよ~。」と、話を聞きます。
みなさん、懐かしく見て行かれます。(現在も住居として使われていますので外観のみ)
駅前にどどんと建っているのは存在感があります。
泊まってみたかった~!
:女中頭 さとう
2015年3月4日水曜日
松本さんの一日
こんにちは。とうとう3月になりました。
たぶん今年はいくらか雪が少ないのかな???と思います。
降るときはたくさん降ってみたり、変化の多い冬でした。
大番頭・松本さんも今年は忙しくなったり、のんびりしたりと良いような、悪いような。
でも毎日元気いっぱいで頑張っています。
この写真は2月初めに撮ったものです。この日は大雪でした。
少しぐらいの時間では全く終わらず、さすがの松本さんもひ~ひ~。
休憩を取りながらの作業日となりました。
今年73歳の松本さんにもあまり無理はさせられません。
実は昨年、北海道新聞に松本さんが取り上げられました。
たぶん今年はいくらか雪が少ないのかな???と思います。
降るときはたくさん降ってみたり、変化の多い冬でした。
大番頭・松本さんも今年は忙しくなったり、のんびりしたりと良いような、悪いような。
でも毎日元気いっぱいで頑張っています。
この写真は2月初めに撮ったものです。この日は大雪でした。
少しぐらいの時間では全く終わらず、さすがの松本さんもひ~ひ~。
休憩を取りながらの作業日となりました。
今年73歳の松本さんにもあまり無理はさせられません。
実は昨年、北海道新聞に松本さんが取り上げられました。
とてもいい記事だったのですが次々と松本さん目当てのお客様がいらっしゃいまして・・・。
なかなか説明が終わらないというような事態になりました。
「疲れたでや~」
この状況は開館してから夏まで続きました。
新聞の力はすごいですね。
ありがたい事でもあります。
さすがにかわいそうになりました。でも顔はにこにこしてました。
本間家のカリスマ説明員ですから。
今年もパワー全開で頑張っています。
:女中頭 さとう
2015年2月26日木曜日
増毛港
こんにちは。
今日はお天気も良くなりました。昨夜は雪が降りましたのでちょっぴり心配でした。
また、雪崩の心配があるため、留萌~増毛間はJRの運休という事態が続いています。
こちらにお見えになる方々にはご不便をおかけしております。
さて、上の写真は昭和28年の増毛港の様子です。
起重機が三台据え付けてあるのが見えます。
1回に2.5石(1875㌔)を上げるようになっています。
鰊が獲れているころは大人も子供も働いていたようです。
学校では「鰊やすみ」というのがあったそうで、私の父は「鰊かつぎ」をしていたと言います。
鰊が21匹で一連といい、20連になったら木架(なや)に運ぶのです。
秋田県から移民をした私の祖先は稲作だけでは食べていくことができなかったようで、
製品にならない鰊をもらってきて、畑に肥料として入れたり、食用にしたといいます。
そのおいしかったことは忘れられないと父は言います。
増毛港の港湾修築は明治39年に始まり41年に竣工しました。
もともと増毛港は良い港です。
古くから帆船や汽船が行き交い、船舶の出入数は全道第3位でした。
西北の風を和らげ、湾内は穏やかだったそうです。
もちろん、本間泰蔵さんもそこに目をつけたのです。
増毛で商売を始めたきっかけはこの港と暑寒の山と伏流水にあったのです。
先見の明があった方でした。
この写真は現在の増毛港です。
映した場所は上の古い写真とだいたい同じ所だと思います。
現在の増毛はえび・ホタテ・タラ・カレイなどなど・・・。
色々な魚が獲れています。
若者たちが跡継ぎとなって今頑張っています。
昔のような鰊が帰ってくることはあるかどうかはわかりませんが、活気あふれる増毛港であってほしいと思います。
ぜひ、増毛町にお越しください・・。おいしい魚を食べて行ってくださいね。
5月には増毛えび地酒まつりもありますので心よりお待ちしております。
:女中頭 さとう
今日はお天気も良くなりました。昨夜は雪が降りましたのでちょっぴり心配でした。
また、雪崩の心配があるため、留萌~増毛間はJRの運休という事態が続いています。
こちらにお見えになる方々にはご不便をおかけしております。
さて、上の写真は昭和28年の増毛港の様子です。
起重機が三台据え付けてあるのが見えます。
1回に2.5石(1875㌔)を上げるようになっています。
鰊が獲れているころは大人も子供も働いていたようです。
学校では「鰊やすみ」というのがあったそうで、私の父は「鰊かつぎ」をしていたと言います。
鰊が21匹で一連といい、20連になったら木架(なや)に運ぶのです。
秋田県から移民をした私の祖先は稲作だけでは食べていくことができなかったようで、
製品にならない鰊をもらってきて、畑に肥料として入れたり、食用にしたといいます。
そのおいしかったことは忘れられないと父は言います。
増毛港の港湾修築は明治39年に始まり41年に竣工しました。
もともと増毛港は良い港です。
古くから帆船や汽船が行き交い、船舶の出入数は全道第3位でした。
西北の風を和らげ、湾内は穏やかだったそうです。
もちろん、本間泰蔵さんもそこに目をつけたのです。
増毛で商売を始めたきっかけはこの港と暑寒の山と伏流水にあったのです。
先見の明があった方でした。
この写真は現在の増毛港です。
映した場所は上の古い写真とだいたい同じ所だと思います。
現在の増毛はえび・ホタテ・タラ・カレイなどなど・・・。
色々な魚が獲れています。
若者たちが跡継ぎとなって今頑張っています。
昔のような鰊が帰ってくることはあるかどうかはわかりませんが、活気あふれる増毛港であってほしいと思います。
ぜひ、増毛町にお越しください・・。おいしい魚を食べて行ってくださいね。
5月には増毛えび地酒まつりもありますので心よりお待ちしております。
:女中頭 さとう
2015年2月17日火曜日
本間一夫氏
今まで降った雪が落ちてきたり、川などは雪が緩んでいます。
くれぐれも、お気をつけ下さいね。
さて、この写真は「本間一夫」さんです。
大正4年(1915年)に本間泰蔵さんの次女・千代さんの長男として増毛町で生まれました。
千代さんは一夫さんを生んでおよそ一年後に亡くなり、千代さんの兄夫妻(泰輔さん・きみさん)が親代わりとなりました。
5歳の時の高熱で目が見えなくなり、その後の苦難を乗り越え、日本点字図書館の創設者となりました。増毛町の名誉町民でもあります。
私は現在、泰蔵さんの手帳の書き下し作業をさせて頂いております。
その泰蔵さんの手帳はほとんどが鰊漁か海運業のことなのですが、ほんの少し、一夫さんの事が書いてありました。
それは大正10年1月28日
” 午前七時 太刀丸 一夫ヲ向ニ来ル 九時ニ爰元出帆 極洋ニテ風クタリ 泰輔 おきみ
おたみ およ志 本間廣吉 一夫 都合六名乗船ス
午後四時 小樽鎌倉病院 着クノ報アリ ”
さらに、大正10年1月30日
” 一夫 病名 田中医師の診断
視神経炎 脳底ノ疾患ニテ視神経床ノ 故障 波及シタルモノラシ ” (原文のまま)
泰蔵さんは一夫さんをとても可愛がっていたようです。
自分の娘・千代さんが残した宝物、自分の後を継ぐ男の子。
期待はいかばかりだったでしょう。
この手帳のほんの数行の中に泰蔵さんの悲しみが表れているような気がします。
今年は本間一夫生誕100年の年ということで本間家では呉服蔵において小規模ですが特別展示を予定しております。
4月の開館に向けて準備を始めようと思います。
女中頭 さとう
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