こんにちは。
今日はお天気も良く、道北地方にしては暖かい一日です。
現在、プラスの気温になっているようです。(たぶん・・・)
春が来ると思うとうれしくなりますね!!
これは「婦人画報」という有名な雑誌です。
昨年の11月末に発売された「新年特大号」です。
テーマは「北前船が寄港していた頃のお正月料理」だったと思います。
増毛は良い水であったことから北前船が水の補給をしていました。
沖合には何艘もの船が停泊しており、荷の積み卸しが頻繁に行われていたようです。
港は喧騒に包まれていたことと思います。
鰊の季節はまさに今でしょ。
「春告魚」と書くのですよ~。
今回は「國稀酒造」さんと「旧商家丸一本間家」を取り上げて頂きました。
これは一番の贅沢な造りの「客間」になります。
床の間の真ん中の床柱は「黒檀」を使っており、床脇は兄弟画家「石塚仙堂」「仙田菱畝」の美しい絵が描かれ、静かで落ち着いた雰囲気があります。
実際に本間家ではここでお正月のお祝いをしていたそうです。
私も朝のお掃除の時に、この部屋で気分を落ち着かせることがあります。
この部屋からの中庭の眺め、白木蓮の美しさ、焼尻オンコの強さ・・朝の空気は最高です。
是非、本間家に足をお運びください。(平成26年4月25日開館)
いい時間が過ごせると思います。
ゆっくり、はんなり・・してみませんか?
女中頭 さとう
旧商家丸一本間家
100年前の明治時代の姿をそのまま現代に伝えている旧商家丸一本間家。
屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど
当時の建築職人の心意気が感じられます。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していきました。
現在は建物の大部分が修繕・復原され、店鋪や居宅部を含む、 広大な建物の内部を見学できるようになっています。
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お問い合わせ
旧商家丸一本間家
令和2年度開館………………………………4月17日(金)
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
本間家ミニ縁日(中止)……5月30日(土)、31日(日)
企画展「ミニ明治村展」 6月12日(金)~28日(日)
茶菓サービスの日(80名様限定)……延期(延期日未定)
令和2年度閉館……………………………11月 4日(水)
※事業内容は変更する場合があります。
2014年2月24日月曜日
2014年2月21日金曜日
雪は恐いですね
こんにちは。今日の増毛町は久しぶりの晴れ間が出ています。
気温が高くなってくると屋根からの落雪もあり、とても危険です。
軒先や川の付近、斜面のそばなどには近づかないようにお願いいたします。
先週末から全国的に雪の被害がありました。
北海道も大荒れの天気となりましたが今回は特に道東方面の被害が大きかったようです。
関東地方から北上して道東に上陸し反時計回りの風が強く吹き、
宗谷地方から日本海側にも影響を及ぼしました。
ひどい吹雪になりました。
雪の降らない地域の方にとっては本当に大変なことだったと思います。
雪害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
大番頭松本さんも、毎日雪かき作業に追われています。
「毎日、これだもな~。」つぶやきが多くなりました。
でも頑張っています!!
女中頭 さとう
気温が高くなってくると屋根からの落雪もあり、とても危険です。
軒先や川の付近、斜面のそばなどには近づかないようにお願いいたします。
先週末から全国的に雪の被害がありました。
北海道も大荒れの天気となりましたが今回は特に道東方面の被害が大きかったようです。
関東地方から北上して道東に上陸し反時計回りの風が強く吹き、
宗谷地方から日本海側にも影響を及ぼしました。
ひどい吹雪になりました。
雪の降らない地域の方にとっては本当に大変なことだったと思います。
雪害に遭われた方々に心よりお見舞いを申し上げます。
大番頭松本さんも、毎日雪かき作業に追われています。
「毎日、これだもな~。」つぶやきが多くなりました。
でも頑張っています!!
女中頭 さとう
2014年2月12日水曜日
増毛いろいろ
こんにちは。今日はどんよりと曇って久しぶりに落ち着いた空模様です。
昨日で札幌雪祭りも終わりましたがオホーツク海側では「流氷祭り」が開催されています。
流氷の氷は海水より塩分が少なく1%くらいだそうです。(海水の塩分濃度は3~3.5%)
とてもきれいなブルーの氷に見えます。初めて見たときは感動しました!
さて、この写真は旧増毛小学校から海に向かって降りて来たところです。
別名「増毛チャーミーグリーンの坂」(私が勝手に言ってます)
右手には役場庁舎、左には「厳島神社」があります。
増毛には30ヵ所の史跡があります。
とくにこの辺りは「増毛治安裁判所跡」や「津軽藩の越年陣屋跡」など散策できるコースの
中に収まっています。
函館の基坂や八幡坂には及びませんがここの坂も天気のいい夏は眺めがいいんですよ~。
続いては「なべやきうどん」冬はやっぱりコレ!!
町内にあるお寿司屋さんの冬メニューです。
この日はちょっぴり贅沢して「ランチ」しました。
体もあったまり、ほっこり気分で午後からの仕事をしました。
おいしかった~~。
女中頭 さとう
2014年2月4日火曜日
伯爵 通房氏とは?
こんにちは。今週の天気予報は最高気温が氷点下の寒い日が続きそうです。
日中でも水道凍結注意の予報が出ることもあります。
早く春が来てほしいと願う毎日です。
さて今日の話題です。
この写真は本間家の「次の間」にある書の額で、
書いた方は「万里小路 通房(1848~1932)」(までのこうじ みちふさ)
万里小路家は公家で鎌倉中期に始まった家で通房氏は27代目当主になります。
京都で生まれ、東京に移り住みました。
戊辰戦争の軍功によって賞典禄100石を永世下賜され明治30年からは貴族院議員を歴任しています。
明治30年から大正13年まで約4期務めた方です。(貴族院の任期は1期が7年)
貴族院は大日本帝国憲法下の日本における帝国議会の上院で
1890年(明治23年)~1947年(昭和22年)まで存在しました。
貴族院は衆議院と同格でしたが、予算先議権は衆議院が持っていたようです。
この額の言葉は「美意延年」・・・心が楽しければ自然と長生きできるという意味があります。
勝海舟もよく使っていた言葉だそうです。
昔の人たちは皆、こうした言葉で励まし合い、激動の時代を生きていたのでしょうね。
女中頭さとう
2014年1月27日月曜日
中庭の雪
こんにちは。先週末は気温も上がり、雨も降りました。
暖かかったのですが今日はまた気温が下がりました。寒いです・・・。
これは本間家の中庭です。写真に写っている「すのこ」のような物は雪囲いです。
屋根から落ちて来る雪がガラスを直撃しないようにするのです。
また、「焼尻オンコ」や「白木蓮」の木にも北風に晒されて新芽が凍ってしまわないように囲いをします。
こうした囲いは雪が降る前に準備します。
雪国の風物詩ともいえる、大事な秋の作業です。
苦労して囲いを済ませておけば、冬の雪から建物や植物を守っておけるのです。
軒下まで届きそうな雪山を、少しづつ取り除いているのは大番頭松本さん。
毎日元気に雪かきをしてくれています。
「そのうち、とけるべや~!あと少しの辛抱だ~」前向きです。。。
さて、泰蔵さんの手帳からです。
明治43年。この年は増毛建網が始まって以来の大不漁。
町内に「118ヶ統」の建網があったらしいがこの年は増毛全村で大変な事態になっていたようです。
本間家でも沖揚機械を据え付け、ニシンを待っていたようですが大赤字になってしまい、
若者衆は早くに解雇され、特別手当ももらえず、厳しい漁期となったようです。
今のお金にすると約1億2000万ぐらいの損失だったようで、泰蔵さんもガックリと肩を
落としていたことでしょう・・。
それでは、また次回に!!
女中頭 さとう
2014年1月22日水曜日
大番頭の除雪風景
こんにちは。最近、雪の降る日が続きついに大番頭松本さんの出動となりました。
今年は昨年より雪が少なく、なかなか除雪風景を撮影することができませんでした。
この機械は雪国独特の「除雪機」という物です。
集めた雪を機械操作で飛ばします。
本間家の冬の管理は大番頭がやっています。
こうして建物が傷まないように苦労して除雪をするのです。(重い雪が屋根に乗ると建物自体が軋みます)
特に「オンコの木」や「木蓮」などがある中庭は大変な作業です。
これから2月にかけてさらに雪の多い日が続きそうですが、まだまだ大番頭、頑張ります!!!
さて先日の続きのニシンの話です。
ニシン漁の漁場一カ所を「一ヶ統」と呼び、本間家では明治39年に六ヶ統の漁場があり、働く人は総勢170人超。
大体、一ヶ統30人(船頭さんから炊事・賄いの人まで)の計算です。
およそ100人は東北の出稼ぎの人、そして地元の人。
とにかく、経費もかかったようです。
縄筵費・薪炭費・旅費・枠曳賃・製造費・修繕費・そして給料・手当。
米の消費もかなり多かったようで、1人あたり1日・7合食べたそうです。
重労働だとわかっていても、白いご飯を食べられるからとニシン漁場にきた若者も多かったそうです。
本当に賑わっていたのでしょうね・・。
どれだけの人が行き来していたことか。
続きはまた次回へ・・・女中頭さとう。
2014年1月15日水曜日
書き下し作業中
こんにちは。女中頭さとうです。
新しい年が明けて気持ちも新たに始まりましたが・・・毎日の吹雪で少々うんざりしています。
本間家の仕事は昨年内で終わり、現在は”書き下し”の作業をさせて頂いています。
明治17年から始まりの初代本間泰蔵さんの「手帳」。
ニシン漁のことや、出張したこと、その先での金銭の出入りなど細かく書かれています。
そのひとつひとつを読んでいくと明治時代のことが少しづつ頭の中に描けるようになって来ました。
たまたま明治38年の手帳を読んでいると見慣れない文字がありました。
「一方精」と書かれています。
相川大工町の高田平五郎 一方精 三本 三〇銭
早速、確認をしてみたところ、実際にありました!!
「高田一方精本舗」が正式名で大衆漢方薬を調剤して広く販売をしていたそうです。
残念ながら現在はなくなってしまったようですがコツコツと読み進めてきた過去が
実在したことの喜び・・感動でした。うるうる~。
くずし字や異体字・旧字体を読むことはなかなか大変ですが
またこの感動を味わうために日々、励んでいます。
また新たな発見めざして頑張るぞ~~!!
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